オープンカレッジ
歴史講座
|
南北朝時代
*** 太平記世界の人間像 ***
|
27年6月2日(火) 講師 伊藤 一美氏 |
太平記の群像1 「史料からみる護良親王」 |
---|---|
高齢者センター大広間 9:30〜11:30 | 受講者 52名 |
講義の際、配られた資料より古文の部分を抜き出しました。 当HP編集者のパソコンでは表示できない漢字があります。 「ヨミ」が分からないので、変換できません。難しいです。あしからず。 |
講義を聞いて、当HP編集者が理解した限りで、編集者の言葉 に置き換えてみます。聞き漏らした所が多々あり、分からない ところが多いです。当講座のレベルは非常に高いです。 ご指摘をお待ちしています。 |
---|---|
綸旨(りんじ、りんし):蔵人が天皇の意を受けて発給する命令文書
令旨(りょうじ):皇太子、大皇太后、皇太后、皇后の命令を伝えるために出される文書
その他 護良親王を名乗る前 および 楠木正成のもの
|
偽綸旨:護良親王が後醍醐天皇の名を語り発給した文書
|
尊雲:護良親王と名乗る前に寺に入院(「じゅえん」と読む) していた頃の名前 =前回の資料より= この度の祈願が成就した暁には丹生明神の宝前において、 十二人もの禅侶を以って、長期間に亘る護摩(火をたいて 仏に祈る儀式)を始めて、よって従来の様に人法・仏法を 盛んにすることを約束します。 よってお願いするところくだんの如し。 元弘2年12月25日 (署名) 二品(にほん)親王 | |
伊豆の国を拠点にして遠江の国を治めることを 任されたことがある北条時政の子孫であるという 野蛮な高時相模入道の一味は、朝廷を軽んじ、 天皇を悩まし、国を乱し、上に反抗するなど 甚だ怪しからんことをしている。 よって、天に代わって征伐しようではありませんか。 皆々様ご一門挙って、兵を率いて、摩耶城に馳せ 参じて下さい。お引き受けの方には褒美を差し上げ ます。以上、大塔宮二品親王の令旨であります。 元弘3年3月6日 左大将 定恒が記述します。 法部法橋幸賀 様 (注釈) 時政:北条時政 北条政子の父 鎌倉幕府の初代執権 高時:北条高時 鎌倉幕府第14代執権 鎌倉幕府という言葉は当時はなく、明治以降に使われ 始めた言葉である。 元弘3年は1333年 | |
=前文より辛辣です= 伊豆の国を拠点にしていた北条の遠江の国を以前に治めた ことのある時政の子孫の野蛮な野郎共め。 承久以来日本全土を支配し、朝廷を蔑ろにし、 最近になって、殊に高時相模入道の一味に至っては、 武力で天皇を脅し、朝廷の権威を軽んじ その上、現天皇を隠岐の島へ流刑し、天皇には辛い悲 しい思いをさせられ、国を乱し、上に反抗するに至っ ては甚だ怪しからんことである。 よって征伐しよう。政権を朝廷に返還させよう。 西国の十五カ国に賛同を促し、召集をかけております。 天皇の許に帰って来てください。 早急に一門の兵を率いて、日数をかけずに速やかに 駈け参じて下さいと大塔宮二品親王が御自らお願いして おります。 元弘3年3月21日 左少将定恒 が手紙を出します。 大山寺衆徒の皆様へ (注釈) 承久(じょうきゅう):承久の乱(1221年)のこと この乱で完全に鎌倉が全国を支配することになった。 | |
鎌倉方の乱暴な軍勢が貴寺に乱入せんとし 貴寺は城郭を構えて応戦されたと伺いました。 もし、これが事実であれば、貴寺ご一同様にとっては 被害を蒙られ難儀されたことと存じます。 御祈祷をよろしくお願いすると共に 先日、護良親王よりの令旨を受け取った者同士 お互いにこの意に沿って支援して行きませんか。 すみませんがよろしくお願いいたします。 2月23日 左衛門尉 正成 金剛寺衆徒 ご一同様 (注釈) 関東とは、鎌倉・北条のこと。 北条執権側は、自分達のことを鎌倉と言っていた。 城郭とは、今でいうバリケードのような簡単なもの。 楠木正成は、位が低いので、文面は極めて、 した手で丁寧な言い回しをしている。 恐々謹言とは、すみませんがよろしくお願いします。 という意味。 | |
元弘3年6月15日申し渡す。 近頃、凶悪な輩が武器を持って乱暴を働き 民衆を苦しめている。よって軍事をもって平定し まともな世の中にしたいと欲する。 以降、綸旨を持たない者は、気まま勝手な行いをする 悪い違反者であるので、国司及び守護は、遠慮なく その者を捕らえても構わない。 よろしく、申し渡すなり。 蔵人右衛門権佐 藤原光守 が発する (注釈) 「令旨」より「綸旨」が上位文書であることを 位置づけたい強い意思が伺える。 | |
後醍醐天皇不在の間は、護良親王が基本的にトップ。
天皇帰還後に課題が発生した。 倒幕、軍勢催促、祈祷、所領付与等の調整問題で。 後に政策的差異から対立に至る遠因となる。 | |
西大寺傘下の諸国に散在している寺々の 僧や尼並びに寺領事の皆々が、 武士たちの強い弱いを問わず 乱暴な振る舞いを阻止しようと 祈祷してくれていることの忠義が 嬉しい。これは天皇のお気持ちです。 引き続き祈祷を続けて下さい。 伝えることくだんの如し。 元弘3年6月16日 左花弁 中御門宣明 覚津上人 殿 | |
本願寺並びに久遠寺におけるご祈祷をする ための場所に関して、先日御下命を仰せつかった 通り、親鸞上人の影堂の敷地にて行い 門弟等に管理させ、そうすることで任務を 全うされん事、任証文の通りであります。 この約定は全管領給者の司令、すなわち 宮将軍(護良親王のこと)の令旨に 裏付けられるものであります。 伝えることくだんの如し。 元弘3年6月16日 左少将隆貞より 謹んで奉ります。 中納言法印 殿 (注釈) 謹上:謹んで奉りますと、宛名に添える語です。 特に訳すことはないでしょう。 |