戻る
オープンカレッジ
歴史講座
鎌倉幕府とその時代
史料購読「鎌倉時代人の声を聴く」
27年1月20日(火)    講師 伊藤 一美氏
    第14回  「公卿の声・徳大寺実基政道の奏上」             受講者 57名
◇徳大寺実基(とくだいじさねもと)(1202〜73)。
  建仁元年(1202)左大臣公継(きんつぐ)の二男。母は白拍子。承久元年従三位、寛元4年(1246)内大臣。
  建長5年(1253)太政大臣。文永2年(1265)入道して円性と号す。  71才没
 ・迷信を信じないタイプであった。徒然草にエピソードが残されている。
 ・「実基公記」や「行幸部類記」を残す。実直で政治への真摯な態度が強い。 
◇政道奏状とは
   天皇にお読み頂くための文書  (時の天皇は後嵯峨天皇)
当講義の趣旨
「徳大寺実基政道奏状」を読むことで、鎌倉中期の新たな公家の思考発露を知る。 
        

奏状は16条より成り、
本日の講義では全条の解説があった。
本ホームページでは最初の3条を紹介する。
第1条 民衆に負担をかけることなく、神事を行なうことについて
神事は神様を敬うために行なうことでありますから誠信を以って
行なうことが肝心です。
まずお供え物の豪華さや金額の大小などに寄るべきではありません。
昔の人は言っていますが、いやしくも神に奉げる気持ちがあれば
高価なものとか安価なものとかに区別するべきではありません。
神様は信と徳を望んでいるのであって、物品に心を寄せるものではあり
ません。
信とは、物を大切にすることであり、徳とは、正直で穏やかなことです。
さすれば、神への敬いの心でもって祭り、真心を以ってお祈りすれは
民衆の苦しみを救ってくれるのです。
それでも、神事を行なう者から訴訟が上がってくるようであれば、
事情をよく調べ沙汰すべきであることを、諸社に勤める者達に
仰せくださればよろしいかと存じます。

第2条 国の利益を図り、仏教を盛んにすることについて
仏教を盛んにすることは、仏道に仕える者の修業によるべきであります。
流派は沢山ありますが、所詮、「戒」、「定」、「恵」の三学なのです。
三学の内、禅定を優先すべきでしょう。ほかも大切ですが。
現状を改めるのであれば、現状では問題があると思います。
禅定を修めようとするならば、「戒」(いましめ)を護持すべきでしょう。
しかるに、今日南北(南とは南都:興福寺、北とは北領:延暦寺)が
対立し、「恵」すなわち学問ばかりに偏っていて、「戒」「定」が
無視されているようです。仏法僧法の衰微はこれに依ると思います。
ただ実行すべきとの仰せがありましょうとも、怠惰は既に述べたとおり
です。
今において討議されていますが、詳しく修行のやり方を定め、命令して
くださいませんか。もし、疎かにされるならば、仏教の隆盛はおぼつかない
でしょう。
       
第3条 賢く才能がある人を選ぶことは、何事にも優先して行うべきで
                            あること
これに関して昔の人は言っておりますが、賢者は民衆の喜びを考えて
神を祭る人です。賢者の行いは、それが叶えば、我が国全体の和が保たれ、
土地の神を敬い、豊作を祈ることでなされます。
多くの人々は、その恩恵を受け、その指導力に頼ります。
「才(ざい)」というのは、知識です。文章がきれいで、表現が豊かに
する、これこそ「才」なのです。また、道術とも、芸ともいいます。
このことについて、唐の大臣-魏徴は言っています。
世が乱れている時は、ただ、才のある人のみを採り上げ、その行いを顧
みません。太平の時は、必ず 知識もあり行いも良い共に持ち合わせる人
を十分に探してこれを任用すべきである。と。
それのみか、昔の人は言っています。
徳が才に勝っている人を君子といいます。才が徳に勝っている人を小人と
いいます。
君子は、その知識で善いことを行います。小人はその知識で悪いことを
します。知識をうまく使って善いことを行えば言うことはありませんが、
知識を悪用すれば悪いことも成されてしまうのです。
昔より国々の悪い臣下、道楽息子たちが知恵ばかり有って徳が足らない
ことを思うと知識人と言えども、賢い行いが無い者を任用してはいけま
せん。
賢明な指導者は臣下を任命する際、丁度、巧みな工匠が木を使うように、
色々と欠点がある者と言っても、使い道はあるものです。
それ故、賢明な指導者は、臣下を棄てません。良匠も木材を棄てません。
したがって、才能がそれぞれ異なっているといっても、適材適所で任用
されてはいかがでしょうか。
       
戻る