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オープンカレッジ
歴史講座
鎌倉幕府とその時代
史料購読「鎌倉時代人の声を聴く」
26年7月29日(火)    講師 伊藤 一美氏
    第6回 「紀伊国阿弓川(アテガワ)庄百姓申状」をよむ   受講者 67名
                       == 講義内容 ==
はじめに
1 その背景
・紀伊国有田郡所在の荘園。有田川流域に広がる。本所は園城寺門跡円満院。
 領家は京都寂楽寺。地頭職は湯浅氏が継承。
・弘長元年(1261)申状によれば庄は上下に分かれていること、草刈夫の提供の
 代わりに材木を進上予定。しかし未実施のため、秋口に庄官が下向。庄民は
 30貫文で購入して提供しようとするが、地頭湯浅氏はこれを値切って10貫か
 14貫にせよと抑止。しかし、値段が高騰して買えず、元のように夫で替えた
 いと懇願。
・農民と領主、さらに荘園領主との、政治力学上のやり取りを知ることができ
 る。決して農民は収奪される立場ではなかったことがわかる貴重な事例。
        

 
(建治の申状)
・教科書に出てくる著名な史料。この筆者は百姓だが、その後押しをしていた庄官がいる。
 領家寂楽寺雑掌従蓮。同年、上庄に入部するが湯浅宗親と同宗氏(下庄)により追い出される。
・彼従蓮はこのことを六波羅探題に提訴。
・百姓らの、行動面に注目。悲惨さだけではないことに注意。これ自体が訴訟文書であることを
 忘れてはならない。
・領主への、闘争。また地域自治村の萌芽。さらには中世に広く存在する惣村と宮座などの村構
 成への萌芽とみられること。

2 「阿弓河庄百姓等申状」をよむ
地頭がいかに悪人であるかを訴えた上記3段目の左端の部分を、現在風に訳してみました。

材木に関してですが、地頭は京都に出向いたり、京都から帰ったりして忙しいと 口実をつけて、暴力団風の男共を、地頭の代わりだと言って、出向かせ 百姓は忙しい時期なのに、材木も残り少ない山へと、無理やり追いやり 逃げた後に麦を蒔けと恐喝し、連れ戻し、お前らがこの麦を蒔かなければ、 女、子供を捕らえて、耳を切り、鼻を削ぎ、髪を切り、尼にさせると、 縄、絆で縛りあげ、責めて責めて、責め抜いた挙句の果てに 材木をまんまと奪い去っていったのです。 その上、百姓の家財一切を、地頭の物として取り上げてしまったのです。
この部分は地頭の悪行を紹介するものとして教科書に使われています。
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