オープンカレッジ
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歴史講座
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鎌倉幕府とその時代 |
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26年6月3日(火) 講師 伊藤 一美氏 テーマ:「六波羅殿御家訓」をよむ 出席者 72名
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はじめに 1 「家訓」のひとつ ・「極楽寺殿」=北条重時とみてよい。但し北条時頼家訓という説も中世からあること。 「西明寺殿家訓」(尊経閣文庫)、「直心抄」(上井覚兼日記)。 「金沢実時家訓」(金沢文庫紙背文書)。原本は天理図書館所蔵。 鎌倉時代に幕府奉行人の長井貞秀書状に「予或所にて一見せしかば夜鶴聴訓抄と題せり」 (金沢文庫文書5847号)とみえ、これを「夜鶴庭訓抄」に相当する。 ・子孫たちへのメッセージ→子息の長時・時茂・業時・義政ら。特に重時が「六波羅相模 守殿」と呼称されることから、相模守就任は嘉禎2年(1237)から六波羅探題の離任時の 宝治元年(1247)までに原型が成立。子の長時の元服時か、さらに結婚して六波羅へ赴任 する時期あたりにこれが完成か。 |
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・重時は義時の3男、泰時の弟として、建久9年(1198)誕生、承久元年(1219)小侍所別当、 寛喜2年(1230)六波羅探題、以後18年間在職。宝治元年(1247)連署。時頼の政治を支える。 康元元年(1256)出家、極楽寺山庄居住。弘長元年(1261)死去、63歳。 若狭・信濃・和泉国各守護歴任。 (要点) ・六波羅殿家訓は43ケ条からなる。貞和3年(1347)醍醐寺智春坊にて書写。 ・「処世訓」の意味合いが強い。「世間」からどう見られるか、どう思われるかなど。 ・日常、家中での立ち居振る舞い、従者への配慮、総じて政治に関わる上層武士の 「イエ」のありかたを示す。 2 「六波羅殿家訓」をよむ | |||||
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本日は、43条の内の17条が紹介され、 解説されました。 その内の短くて分かり易いものを掲載します。 ← → |
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