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なつメロ愛好会
歌うことで若さ保ちたい
2月の計画3月の計画
2月 1日(金)3月 1日(金)
2月22日(金)3月29日(金)
なつメロ愛好会1 なつメロ愛好会2
なつメロ愛好会活動要旨
項 目事   項
活動の目的 昭和時代の歌を中心に会員相互で歌い合い、過ぎし日に生きた青春時代の思い出を蘇らせ、高齢者の生き甲斐の一環とし、且つ、会員相互の親睦を図る。
活動の内容 昭和時代の歌を中心にその誕生等を紹介しながら相互に歌い合います。
 また、年2回程度センターの大広間やカラオケバーなどを利用してフリーで歌い合い高齢者同志の親睦を深めます。
活動日 原則として、高齢者センタースポーツ娯楽室を活動基盤として、月2回(曜日はその都度周知)行います。
 活動時間は午前10時から午後2時10分ごろまで。
運営費等 会の運営費として、年2,000円(半期1,000円)と入会初回に限り、曲目早見表等の実費を戴きます。
 なお、その他教材費等は、その都度別途徴収します。但し、一旦収めた会費等は如何なる理由でも返金しません。
講師・指導 特に設けておりませんが、会員の中で、なつメロに関する文献等を参考とした解説、指導等をボランティアとして行なうことは、大いに歓迎しています。
 その場合、事前に周知します。
会員条件 この活動指針を理解、賛同され、ズシップの会員で、且つ協調性のある方で、真面目に参加戴ける方であれば、どなたでも会員になれます。
 なお、会場の都合で会員現状を考慮する場合があります。
会員資格
および消失
 会員として何の連絡もなく、3ケ月以上出席されない場合は、自動的に会員の資格を失います(名簿抹消)。
 また、会員として協調性に欠ける行為があれば会員の総意で資格を失います(名簿抹消)。
備 考
なつメロ愛好会
広報紙「ズシップ第27号」平成28年4月発行 掲載より 
 なつメロ愛好会(代表高田愛悦さん)は、現在会員数34名を有し毎月2回、高齢者センターにおいて活動しています。  昭和時代の懐かしい歌謡曲や叙情歌等のDVDを買い揃え、映像を懐かしがり、音楽に合わせ歌って、健康を維持することと親睦を 目的にしています。  活動は10時から14時までで、始める際、まず「荒城の月」を合唱し発声を整えます。 終わる際には「青い山脈」を唄い次回も元気で唄うことを誓います。 また、間島次男さんが、著名な作詞家、作曲家を取り上げ、その功績や作詞・作曲にまつわるエピソードなどを 解説しています。最近、サツハチロウー、永六輔、西条八十、藤浦洸、佐藤惣之助、星野哲郎、佐伯孝夫を解説しました。  作詞家の思いを馳せながら、歌詞の意味を理解して歌うのも気分が乗ります。  毎回一人で2曲程度を歌いますが、それぞれが得意な歌を持っており、楽しいサークルです。
 私と「なつメロ」 池子第5長生会  間島 次男  
広報紙「ゆめほととぎす第9号」平成20年11月発行 掲載より 
 逗子市の高齢者センターで行われているサークル活動の1つの「なつメロ愛好会」に参加するようになって、早くも 5年弱の歳月が経過しました。  私は懐メロ、分けても戦前、特に昭和10年代の歌謡曲に興味を持っています。昭和8年生まれで、終戦時満12歳 でしかなかった私が、どうしてそのような時代の歌に懐かしさをおぼえるのか、ちょっと不思議に思われるのですが、 恐らくそれは私の父と家庭環境の影響があったのだと思います。  昭和10年代初頭の頃、父は東京の渋谷区公会堂通り、今のJR恵比寿駅の近くで店内装飾業(分かり易くいえば看板 屋さん)を営んでおりました。駅近辺の呉服屋等の商店の装飾や、渋谷から広尾に通ずる道沿いにあった「帝国館」と いう映画館の看板を描く仕事をしていました。 その得意先の1つにレコード屋があり、私の記憶では今の恵比寿駅のガードの広尾よりの所にあったと思いますが、 恐らくその店の仕事をした際に、店頭で試聴用に使ったレコードをもらったのではないかと思っています。 今でも私の家に当時のレコードが100枚近くありますが、各レコード会社の白いラベルの宣伝盤がかなりあるので、 そうであったのだと思います。  父は当時としては割合モダンなところがあり、趣味で油絵を描き、春陽会所属の絵描きたちと交際をしたりしていて、 貧乏暮らしではありましたが、ビクターの蓄音機(手動でゼンマイを動力としたもの)を持っていました。 私が5〜6歳頃には浅草の6区でレビューの舞台を観に連れて行ってもらった微かな記憶があります。  父はその後、昭和14年夏に横浜市の磯子区杉田に居を移し、古書籍と文房具を扱う店を始めましたが、ラジオ屋さん に教わりながら蓄音機とラジオを結び付けて、自家製の電気蓄音機を作ったりしていました。 私が大好きな淡谷のり子の「東京ブルース」は、この当時のレコードで聴いて覚えたものと思います。「東京ブルース」 といえば、今は一般に西田佐知子のそれが知られていますが、私のは一代前の「東京ブルース」であります。  さらに当時わが家には商売柄物置の中に、買い入れた古本が山のように積んでありました。その中に戦前、戦中の 「映画之友」のバックナンバーがあり、それを小学生のくせに暇にあかして読んでいました。 現在私が戦前の洋画、邦画について、とても興味を持っているのもそれが原因していると思います。 昔は映画となればストーリーを主題とした歌が作られたもので、映画と歌謡曲は密接不可分の時代であったのです。  現在私の家に残っている古いレコードの中にも、いくつかの映画主題歌があり、中でも昭和14年に封切られ、 日本中を席捲した映画「愛染かつら」三部作のナレーション入り4枚組みのものがあり、私は映画は観てないのに 「旅の夜風」「悲しき子守唄」「愛染夜曲」「朝月夕月」「愛染草紙」「荒野の夜風」の6曲について記憶に残すことが できたのだと思います。  また私の姉(昭和3年生まれ)が割合歌が好きで、女学生時代に良く「湖畔の宿」とか「湖畔の乙女」などを口ずさん でいたのを記憶しています。  このように人と懐メロとの係わりについては、各人の過ごした生活環境等によって決まるので、大正末年や昭和初期に 生まれたからといって、全て昭和10年代の歌に知識があるわけでもなく、各人各様に年代的にバラツキがあるのは当然 であると思います。更に「なつメロ」が好きだといっても、その好きさ加減はそれぞれ人によって違いがあるのも当然で す。例え歌える曲の数が少なくとも、その歌がとても好きであるのなら立派な「なつメロ好き」であり、また特定の歌手 が好きで、その歌手の歌に深くのめり込んで行くのも「なつメロ好き」の1つの形だと思います。  私は昔の歌について、そのオリジナル歌手の声を聴いて、その歌についての時代背景や、その歌手や作詞家・作曲家に ついてのエピソード等を、資料を集めて読むことが大好きです。これも「なつメロ」の愛し方の1つの形だと思っていま す。  75歳の今になっても、私に「なつメロ」という趣味を持つ素地を残してくれた父と、当時の生活環境に感謝している ものです。
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